学生ロボコンチームCMコンテスト『ロボ魂!』

学生ロボコンチームCMコンテスト『ロボ魂!』の受賞作品が発表されました。

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今回初の企画として、関西、東海を中心としたロボコンチームがある大学を対象に、同じ大学のメディア・映像制作に取り組む学生チームから、『ロボ魂!』CMを募集しました。

学生ロボコンチームCMコンテスト
http://robocm.com/

今回の企画は、エンジニアの活躍を応援するローム株式会社に協賛いただき、
Aalto Internationalが事務局となって開催。

Aaltoとしては、日本のテクノロジー関係のグローバルブランディングPRに取り組むことが多く、将来の日本を担うエンジニアのロボコンチームのみなさんを応援したいという想いで今回の企画の運営にあたりました。

ロボットに情熱を注ぐ大学生と、映像制作に情熱を注ぐ大学生が出会い、ひとつの映像にしていく。

その真剣さが出会ったときに、生まれる新しい表現はとても興味深く、
私自身もこの企画に携わって、様々な感動がありました。

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最優秀賞/PV賞:
「Robohan ~ハンパなことはしたくない~」
【学校名】大阪大学 【応募チーム名】大阪大学放送研究会
【ロボコンチーム名】Robohan

ローム賞:
「完璧を目指して。」
【学校名】京都工芸繊維大学 【応募チーム名】チーム池側
【ロボコンチーム名】Forte Fibre

応募してくださった大学生のみなさん、ありがとうございました。

1月17日

毎年、1月17日が巡ってくるたび、

今、自分の足を置いている地面と、頭の上に広がる空を見上げます。

 

ちょうど20年前、阪神淡路大震災が起こった日。

当時まだ小学生だった私の足が、踏みしめていた場所は、

兵庫県西宮市。

 

あの早朝の出来事、自分の目で見たこと、肌で感じたことは、

今でも頭の中に残っている。

と、思いながら、

その反面、年齢を重ねるにつれて、

本物の記憶かどうか時々疑いたくなることもあります。

 

自宅が全壊し、避難生活と、いくつかの転校を経て、

大阪に移り住んだ当時の私は、

被災地のすこし外で育ちました。

 

どうして、何もできなかったんだろう?

なぜ、ここにいるんだろう?

小さい頃から、被災地のすこし外で、テレビや新聞を見るたびに、

なんともいえない気持ちでいっぱいでした。

 

突然、今まで信じていた明日が、

当たり前ではなくなること。

 

自分の力ではどうにもならないことが

突然降りかかってきて、

それはとてつもなく恐ろしいものだということ。

 

そのせいで、

平和に見つめていた川沿いも近所の学校も友達も

めまぐるしく変わって、目の前からいなくなること。

 

 

何かしたいのかというと、何ができるかもわからず、

ただ、自分自身に対して、いつも「これでいいのか?」という

どこにも落ち着かないはてなを抱えたまま、時が過ぎました。

 

それから10年経ったころ、

気づけば、地震防災と心理学を学ぶ大学の専攻を志願して、

放課後の教室で、受験勉強をしていました。

 

結果的には、違う専攻に通うことになるのですが、

同じ学科で、兵庫県育ちの友人達や、

震災被災者の歩みを研究されている先生に出会い、

震災に向き合う機会をもらうことになりました。

 

それからは、地震のメカニズム、様々な災害の現れ方、

様々な立場で震災を経験した方々にお話を聴きに行くこともありました。

専門的な内容から身近なことまで、様々な考え方や事柄に触れて、

そして、やっとわかったことは、

「また、震災は必ず起こる」ということでした。

 

今思えば、当たり前のことだったのかもしれないのですが、

きっと、何か違う答えを求めていた自分にとっては衝撃で、

『またあんなに、かなしいことが必ず起きるの?』

と思い、呆然としました。

 

その後、

遠く離れて避難してしまった人達が集い語り合うオンラインコミュニティや、

地震について考えるきっかけをつくるウェブサービスを

大学の仲間と運営したこともありましたが、

その確固たる事実は覆ることなく、

ずっと自分の中に、あり続けました。

 

地震や防災のことや人に触れて、わかったのは、

落ち着きのない私は、研究者には向いていないということ。

 

そのかわり、

研究者や様々な人が、大事なことを伝えようとするときに、

何か役に立つことはできないのかということ。

 

一見あいまいな自分への問いかけ、

『コミュニケーションをつくる役割を通して、誰かの役に立てないか?』

ということが、心の中にストンと落ちたひとことでした。

 

 

あれから20年。

今の私は、コミュニケーションということに向き合う仕事をしています。

 

世の中には、

伝える人と、伝えたい人の間に何かしらのチャレンジ(課題)があり、

伝えるべきことや、伝えきれていないこと、伝わっていかないことがたくさんあります。

 

何より自分自身が強い人見知りだった私にとっては、

「コミュニケーション」をつくりだすことに取り組むことは、

大きなチャレンジではありましたが、

これまでの経験で、海外とのつながりを持つ機会があったこともあり、

海外と日本のあいだでのコミュニケーションにおいて、

役に立てることに、ひとつひとつ取り組もうと決めました。

 

海外の仕事仲間などに、

「一体、君のモチベーションやエネルギーはどこからわいてくるの?」と聞かれると、

『阪神淡路大震災の経験かもしれない』

と時々、あのときのことを話すことがあります。

 

今、京都という地をふみしめて、

あの日の真っ暗な朝の空を思い出しながらも、

明日の空を信じています。

 

いつか、自分の力ではどうにもならない、

いつもそこにあった景色が、ある日突然なくなるかもしれない。

不安の気持ちはありますが、

でも、だからこそ、明日の存在を強く信じています。

 

あれから20年。

それぞれの1月17日があることを心に刻みながら、

同時に、コミュニケーションという終わりのないテーマを

どこかから与えてもらえたことに深く感謝しています。

 

これから先も、どんな地でも、

今日という日を改めて心に刻み、

自分の足元と、その上の空を見上げて、

そして、明日を想って。